はい、誰かお分かりですね。L⇔Rでも、一番この人を推していたわけで。
黒沢健一さん。
この人と風くんとどっちにしようか、本当に迷いました。
このブログを立ち上げたきっかけの人です。
魅力…
真面目な話…沼ったのは、一目ぼれでした。
GBで見た時、健一さんがめっちゃタイプ過ぎてヤバかったw
ガチの好みだったわけで。
で、L⇔Rの音楽を聴けば…60年代の洋楽は私も好きなので、音楽まで
好みすぎたw
メンバーもいい男が3人も居て、カワイイ女性も一人居てって
感じで、オシャレかつ素敵なバンドだなぁ✨って感じで見てました。
ここまで、好み過ぎるくらいパーフェクトなバンドも居たもんだと
90年代当時は感じたのですよ。
そして、スクラフス(L⇔Rのファンクラブ)に入会。
いやぁ~L⇔Rこそ、ファン歴長いので(30年近い)語ることあるやろって
思われるかもですが…
結構恥ずかしいことやらかしている記憶しか(何?w)ないんですわw
というか、ガチで憧れている人のことを書くって
どこから書けばいいのか、ぶっちゃけ戸惑うんですよw
ここで一曲「BYE」
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天然かつ繊細。だけど、ちらっと見える男気?
健ちゃんの本当の魅力は、よく分からない。ミステリアスな人では、あったな。
よく言われていたのが、天然な人w
確かに、名言ならぬ迷言は多かったwww
ソロライブでの「クラップハンドを好きなリズムでお願いします」
って、言われた時はみんな( ゚д゚)ポカーンだったしwwww
健ちゃんがソロ活していた時も、勿論何度もライブ観に行った。
何度も歌声を聴いてきた。
ファルセットも綺麗だし、小柄だけどパワフルな歌声だった。
ステージも年々色々やってくれた。L⇔R以外のバンド活動もやっていた。
本当に、音楽のためにっていうか音楽の神様に愛された人。
この人が居なかったら、私はライブ遠征の楽しさを知らなかった。
そして、洋楽を聴く幅が増えだしたのもL⇔Rのファンになってから。
音楽の楽しさをより一層強めてくれた。
嫌なことがあっても、楽しく乗り切れた。
2度握手をしたことがあるけど、手が柔らかくて
よくあんな手でギターが弾けるよなぁって、思ったほど。
2度話もしたっけ。受け答えが上手かったな。
実際話してみたら、あんな受け答え出来る人居ないんじゃないかってほど。
凄く頭の回転が速い人だった。こんな人、絶対今後出てこないだろうってくらい。
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遠征ばっかりで大変だったけど…
L⇔R及び、健ちゃんのライブは遠征しか無かった。
だけど、私は一つも後悔したことがない。
だってね、こんなにも魅力ある人に出会えたんだから。
それだけ、価値があったんだよ?
東京カルチャーカルチャーでやっていたライブは、プラチナレベルで
チケットが取りにくくて、一回も行けなかった。
↑マンガも描ける人でした。こういうイラストは、殆ど健ちゃんが
手掛けていたっけ。
↑このジャケットも、そう。
だけど、一回だけ差し向かいの席でライブを観ていたことがありました。
この時ね。健ちゃんの人生最後のツアーの時。広島LIVE JUKEで。
晩年は、ファンのために色々していたね。
川柳募集したり、動画を撮影していた私らファンに募集を呼び掛けて
採用された人の動画を掲載してYouTubeにUPや、BOXにして発売してくれたり。
私も楽しく参加させてもらい、しかも動画は採用された。
お返しにって、携帯で撮った動画を送ってもらったのは今でもiPhoneに
残ってます。超がつくほど、貴重な動画。
楽しませるだけ楽しませて、天国へと…
これだけ、楽しませてくれた人なので亡くなったことを知った時は
ショックすぎて、泣くどころじゃなかった。
マジで頭の中は、真っ白だったわけで。
ここに来た時は、更にショック過ぎた。来るまで、現実じゃなかったらって
思ったほどだった。
享年48。2016年死去…。
でも、色々なことを彼から教わった。
音楽の楽しさや、ライブ遠征の楽しさ。勿論楽しいだけじゃなかったけど
それもすべては、今へと続いている。
この人と同じ時代、同世代に生まれて何て幸せだったんだろうって
感じたことが沢山あった。
心から、健ちゃんには感謝してる。一時期、生きる希望を失いそうだったけど
大丈夫。心の片隅に、いつでも置いて
この人の音楽は、時々でも思い出そう。
締め。
というわけで、黒沢健一さんの魅力と自分の思いを改めて書いてみた。
貴方の曲は、今でも生き続けてます。
だから、さよならなんて言わないよ。