人生最後のツアー↑DVDジャケットです。一番最後のライブは
ビルボードライブでのカバーライブでしたけど、ツアーはこれが
最後でした。どっちも行って良かったと思います。
とうとう、来ちゃいましたね。
はてなブログは、リマインダーとして「一年前の記事を振り返ってみませんか」
ってのが、先月か先々月にメールで来ましたが…記事を振り返るなら、訃報が入った
一年前の今日だろうと思ってました。
本当は夜中3時に黙とうしないとイカンのですが、3時に起きれないので
さっき、仕事から帰って黙とうを捧げました。
↓長いので、目次を入れました。見たい項目から見られます。
一年前はYahoo!ニュースで、会社の休憩時間に知りました。
丁度仕事に戻る時に、スマホのYahoo!アプリからトップニュースで
黒沢健一さんの訃報を知った時は、私は頭が真っ白になりました。
それからは、何とか仕事をこなしたけど…心ここにあらず状態。
記事は12月7日ですが、亡くなったのが5日の夜中。報道されたのが7日だったので。
オフィシャルのトップページがを見に行ったけど
真っ白で、更新中だったのを覚えてます。
この時は、まだ受け入れられてない状態だったので、意外とあれこれ
書けたんだけど、何だろう…今読んだら何だか薄っぺらい感じに思えてくるんだ。
言葉にすると、一気に安っぽくなるのがね(;^ω^)
一言で言えば「あまりにも辛すぎた」。
やはり、それはその相手が好きでないとそういう感情は生まれません。
しかも、彼はまだ48歳という若さです。
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中々上手く言えない感情が、そこにあったのです。
こうやって、何とか言葉にして書いているけど
やはり、何か安っぽい。難しいわ(;^ω^)
20何年もファンやってて、L⇔Rの時からライブを観てて
彼の活動を応援しつづけてきて、彼の音楽に励まされてもらって
何度も彼に事務所へ感謝のメールを送りました。
「音楽を聴いて励まされる?そんなのあるわけ無いでしょ。」って
否定される人もいらっしゃると思いますが、実際本当に私はありました。
何が後押しになるかは、その人それぞれあるわけで
私は偶々、彼の音楽だった。
如何にして、彼が心を込めて曲を創って私たちに聴かせてくださったか。
そういう気持ちがあったからこそ、私は心から感謝してます。
他にも、そういうアーティストさんは沢山おられるとは思います。
偶々、私はそれが黒沢健一さんだった。それだけのことです。
だけど、その偶々がここまで続くとは思わなかった。
彼は一生懸命自分の音楽と向き合って、それを貫いたわけです。
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残念ながら、L⇔R再結成は叶わなかったけど…
C-C-Bの再結成前に、渡辺英樹さんが亡くなった例があったので
健ちゃんらはどうなんだろう?
そういう気持ちがどっかにあって、嫌がっていたらどうしよう…と
戸惑いつつも、メールいたしました。
そしたら、健ちゃんが病気を患っていたという…。
未だに人気が高い(?)この記事。
お別れ会だと思って検索された人が、いかに多いかです。
お別れ会は、献花のみでしたので「献花の会」です。
↑かなりしょうもないこと書いてる記事なのに、アクセスありがとうございます。
今年、何気に注目記事としてずっと上がっていたのが
この記事だったのが、私からしたら意外すぎたのでびっくりしてますΣ(・ω・ノ)ノ
そのお別れ会のレポは、こちら。
(注)外部から来られた方へ。埋め込み記事の
黒い太文字タイトルをタップ(PCはクリック)すればその記事が見られます。
献花の会で、更に言葉を失うばかりでした。
行った後、日に日に悲しみが強まるばかりで
ホント、ここ一年は職場の人には申し訳なかったです。
笑おうにも中々笑えないし、仕事をこなすのが精一杯でした。
いい加減、立ち直らないといけません…
もう既に、立ち直られたファンの方もいらっしゃると思います。
いい加減に立ち直らないといけないんだろう。
この前まで、オフィシャルのブログ「feature」の過去ログを
読み漁っていけば行くほど、切なくなってしまった。・゚・(ノД`)・゚・。
CD、DVDがあるからそれを見て…私たちの心の中にも
健ちゃんが居るんだから、寂しくない。そうなのかも知れない。
沢山の彼の素敵な音楽…大事にしないとね。
私はファン「だった」と言う風には言いたくない。
「今でも、ファン。」だと言います。ずっとね。
愚かなことに、今更気づいたことが沢山ありました。
色んな気づき、素敵な音楽…本当に感謝します。健ちゃん、ありがとう。
そして、お疲れ様。
アルバム、9日に発送だそうです。
こっちは2日くらいかかるので、11日になりそうだ。